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ビールを楽しもう!人生を楽しもう!
明るくて、ポジティブで、ピースフルな世界。
私たちは美味しいクラフトビールを通して、そんな世界をつくっていきたいと思っています。

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グレートデーンはアメリカ・ウィスコンシン州で産声を上げました。ウィスコンシン州と聞いても、ピンと来る日本人は少ないかもしれません。アメリカの中西部と呼ばれる一帯に位置し、五大湖であるミシガン湖とスペリオル湖に面しています。美しい自然と広大な農地が広がる、とても穏やかな地域です。州内最大の都市はミルウォーキー、州は違うものの近隣には巨大都市シカゴがあります。ちなみにバイクのハーレーダビッドソン、自転車のトレック、ソーセージのジョンソンヴィルなど日本でも馴染みのあるメーカーは、実はウィスコンシンが発祥です。
20世紀も終わりに近づいてきた1994年、ウィスコンシンの州都マディソンで、二人の若者が「グレートデーン」と名付けたクラフトビールの製造を始めました。そして、出来立てのビールを併設のレストランで飲める「ブリューパブ(Brew Pub)」をつくったのです。当時はまだ大手ビールメーカーの存在が圧倒的でしたが、「もっと美味しいビールを!」「もっと地域に愛されるビールを!」という想いから生まれたブリュワリーの1つがグレートデーンです。グレートデーンはそのビールの美味しさが評判となり、順調にブリューパブを増やしていきました。現在、地域で5店舗を展開しており、マディソンの街に欠かすことのできない存在となっています。
創業者の一人でブリューマスターを務めるロブ・ロブレグリオのビールづくりの知識や経験、何より実際に生み出すビールの味に対する評価は極めて高く、2012年には全米の年間最優秀醸造家(Brewer of the Year)にも選ばれました。そんなロブですが、実は日本との深い繋がりが2つあります。1つはお兄さんの存在。ロブのお兄さんは仏教の研究者なのですが、日本の大学で教鞭をとっていたこともあるほどで、もちろん日本語はペラペラ。そんなお兄さんから受けた影響はとても大きかったようです。
そしてもう1つは創業したばかりのグレートデーンで醸造家として働いていた日本人、清沢哲也の存在です。清沢はウィスコンシンへ留学をしていた際に、たまたまグレートデーンで働くこととなり、ロブからビールづくりを学びました。帰国後は日本のクラフトビールメーカーで醸造に携わり、その後はビール以外にワインの世界にもフィールドを広げ、酒類のコンサルタントとして活躍します。長野県松本市出身の清沢は、「松本ブルワリー」(2016年操業開始)の立ち上げプロジェクトに関わる中で、「師匠」であるロブを同社に紹介し、ロブは醸造アドバイザーを務めることになりました。仕事で来日して日本のビール業界を見るにつけ、ロブの心の中には「いつか日本で自らブリュワリーをつくりたい」という想いが沸き上がってきたのです。
その頃、ロブの友人でウィスコンシンでスポーツキャスターとして活躍していたフィル・ドーソンは、日本でクラフトビールのブリュワリーをつくることを夢見ていました。というのも彼の妻は新潟出身の日本人で、彼女とともに日本を訪れる中で、日本のクラフトビールに強い関心と情熱を抱くようになっていたのです。フィルは、マディソン・カレッジでクラフトビール醸造と発酵科学を学んでいましたから、ブリュワリーの仕事ではその知識を活かせるはずです。次第に彼はスポーツキャスターという華やかな仕事を捨ててでも、新しいチャレンジをしたいと思うようになりました。そして友人であるロブに日本でのブリュワリー開業への想いを語ります。こうしてロブとフィルの夢が重なり始めたのです。
マディソンの街には、もう一人のキーパーソンがいました。それがムラモトシンジです。彼は学生時代に留学をしてから、30年もアメリカで暮らしていました。ムラモトは異国の地でゼロから和食のレストランを立ち上げたのですが、複数店舗を展開してビジネスとして成功をおさめます。さらにシェフとしても数々の賞を獲得するなど、確かな評価を得ていました。同じマディソンの街で経営者仲間だったロブとムラモトですが、日本でのブリュワリー開業というロブの夢を知ったムラモトは、故郷である日本でのチャレンジに自らも加わりたいと熱望するようになりました。
「日本でビールづくりをする!」という大きな目標こそできたものの、果たしてどこから手を付けたものかとチームの面々は頭を悩ませます。その際に相談をした先が、ジェトロ(日本貿易振興機構)のシカゴ事務所でした。シカゴのジェトロがグレートデーンの情報を日本サイドに共有したところ、それを知った宮城県職員の皆さんが強い関心を持ってくれました。そして何と遠路はるばるウィスコンシンのグレートデーンまで視察に来て、その上で「宮城県にぜひ来てください!」と熱烈に誘致をしてくださったのです。そこで実際に宮城県を訪れたところ、チームはその魅力にだんだんと惹かれていきました。県内のあちこちを見て回る中で、最終的に候補となったのが仙台市の秋保(あきう)地区だったのです。
この頃に創業チームに最後のメンバーが加わります。それが子安大輔です。彼は広告代理店でマーケティングプランナーとして働いた後、レストランや食産業の世界に転身し、プロデューサーやコンサルタントとして活動していました。そんな子安に、10年来の友人であったムラモトが声をかけます。というのも、当時の4人のチームはビール醸造やアメリカでのビジネス経験は豊富でも、日本の飲食マーケットに関する知識は不足していたからです。そこを補うべく、子安がジョインすることになりました。彼は通常、期間限定の「外部の専門家」として関わることが多いのですが、このプロジェクトについては「ぜひチームの一員に加えてほしい」という彼からのリクエストがありました。こうして5人の創業チームが出来上がりました。
そしてチームは足繁く仙台市の秋保(読み方は「あきほ」ではなく「あきう」)に通う中で、その魅力に更に惹かれていきました。秋保は「仙台の奥座敷」と称されます。仙台駅から車で30分ほど行ったところにあり、一帯には里山の風景が広がっています。秋保は温泉で有名で「日本三御湯」の一つにも数えられている名湯なのです。秋保の中心部には清流の名取川が流れ、その周辺には由緒ある旅館やホテルが点在しています。豊かな自然に加えて、近年では移住をしてくるアーティストやクリエイターも多く、個性的なショップやカフェがどんどん増えている、今注目のエリアです。
そんな魅力的な地域であることに加えて、秋保ではたくさんの素晴らしい人たちとの出会いがありました。中でも「秋保ワイナリー」の毛利親房さんや「アキウ舎」の千葉大貴さんなど、地域の魅力を精力的に発信している皆さんとの交流は、私たちを強く後押ししてくれました。また、秋保で新たにワインづくりを始めたMONKEY MAJIKのブレイズ・プラントさんも私たちの活動を温かくサポートしてくれています。一言で言えば「ご縁」となるのかもしれませんが、点と点が少しずつ繋がっていくように、ごく自然な形で、何かに導かれるようにして、グレートデーンは秋保の地にたどりついたのです。長い長い歳月を経て、チームはようやくスタートラインにつきました。ここからグレートデーンの新しい物語が始まります。

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